浜松市博物館に行ってきました

琉球畳表生産のカギになる?ほぼロストテクノロジーを求めて浜松市博物館に行ってきました。

琉球畳なのに大分県。なのに静岡県浜松市。なぜ?
事の発端は2016年。浜松市博物館の企画展で「当時使用されていた機械」として展示されていた機械を写した1枚の写真です。

先日研修に行った大分県の生産者さん達は、その当時使用されていたと言う、何十年も前に生産終了の機械を未だに補修しながら使用していました。
古い機械数台から状態の良いパーツを抜きとって、ようやく騙し騙しでなんとか1台が使えるレベルです。
そんな生産者さんに見てもらったこの写真。

「コレまだ新品じゃないか~い!」「欲し~い!」

博物館企画展にて展示のい草分割機です。真ん中の黒く丸い部分で新しい機械と判断されました。

って事で、日本で残りわずか数件の琉球畳表生産者さんの手に、なんとかコレら機械や、パーツ、その他何か手がかりでも手に入らないか学芸員さん達に交渉です。

大変ややこしいので詳細は割愛しますが、大分県の農家さんのピンチを救ったのが琉球地方で作られていた琉球畳表。
そして浜名湖周りの農家さんを救ったのが、大分県の琉球畳表です。

僕の勝手な憶測ですが、浜松市は工業が盛んなことから色々琉球畳表の生産に必要な機械が開発されたんだと思います。で元の大分県に機械の逆輸入がされたと。
そんな事から江戸時代から昭和初期~中期頃まで、大分県と静岡県は琉球畳表の二大生産地だったんです。

しかし、平成20年頃に浜松市での生産者さんはついにゼロになり、現在大分県でも残りわずか数件の生産者さんになってしまいました。
他の県や、中国ですら生産されていません。日本で数件です。
もうこの状況では新たに機械が開発される望みも少ないので、この展示された機械が何か今後の起爆剤にならないか!?
それを願って右往左往してまいりました。

コレなんかただの弱小畳屋店主が1人で動き回るより、行政かもっと偉い人達が動いてくれたら簡単に解決しそうなんだよねぇ。。。

まぁそれでも何かきっかけは掴めた感はありました。

最後に藺草神社に明るい未来のお願いに行き、本日のミッション終了です。

藺草の神様どうか機械問題が無事に解決しますように、お願いします!

畳業界の皆様、琉球畳ファンの皆様、乞うご期待です!

2016年の企画展示会。この頃の僕に今の知識と人脈が有れば!悔しい!

現在も使われている同じ機械達。若干の型の違いはあってもほぼ同じで、奥の機械達は部品として、どんどんパーツが抜き取られています。