明治村で柔道畳に出会った話

先日、下調べもせずに明治村に行ってきました。これが予想以上に楽しかったんですが、何よりもビックリしたのが、無声堂に敷き詰められた柔道畳です。この畳を見た瞬間、「うわ、これは…」って思わず声が出ちゃいました。。。

明治村の入口にある記念碑とゲート
道場の広い板の間に一面に敷き詰められた古い柔道畳。木組みの天井と高い窓が見える
無声堂の床いっぱいに敷き詰められた柔道畳。数えると、全部で98枚ありました。

畳の「出世頭」、柔道畳

千年以上の歴史がある畳から見れば最近のもの、、、と言っても、100〜150年くらい前に生まれたのが柔道畳ですが、コレは時代を感じる柔道畳です。柔道畳って、畳の「出世頭」と言ってもいい存在だと思うんです。だって、世界中どこに行ってもお寺や茶室、和室以上に敷かれている畳で、まさに嘉納治五郎先生様様です。

そう言えば余談ですが、「TATAMI」って映画が来月公開されるそうですね。

一針ずつ手で縫い止める、職人泣かせの畳

この無声堂に敷いてある畳は、世界中はもちろん、日本国内でもほとんど見られない、昔ながらの柔道畳なんです。よく見ると、刺子のように細かい糸が見えています。この糸で畳表を縫い止めて、柔道のすり足や寝技をしても畳表が緩んだりズレたりしないようになっています。

柔道畳の表面のアップ。横方向に細かい縫い目が点々と並んでいる
畳表に走る細かい縫い目。刺子のように、一針ずつ手で縫い止めてあります。

でも、この糸が緩むと足の指が引っかかって大怪我につながるし、逆に締めすぎると丈夫な七島い草の畳表でも切れて商品になりません。また、畳全体を貫通するように細かく手縫いして作るんですが、とにかくそれが大変で体力勝負なところもあります。ほんと、職人の腕と根性が試される畳です。

ちょっと補足
七島い草(しちとういぐさ)は、断面が三角形をした丈夫ない草の仲間です。普通の畳表に使う丸いい草よりずっと擦り切れに強く、すり足や投げ技でこすられても傷みにくいので、昔から柔道畳や縁のない琉球畳の表に使われてきました。今では作る農家がごくわずかになった、希少な素材でもあります。

柔道畳の端。畳床の藁が見えるほど擦り切れている
畳の縁の傷み具合に、積み重ねてきた時間を感じます。

100年で、ここまで変わるのか

恥ずかしながら、僕自身ここまでたくさん敷き詰められた手縫いの柔道畳を見たのは初めてです。

飴色になった柔道畳の表面

昭和の東京オリンピックでは、こんな柔道畳が使われたそうですが、令和のオリンピックでは全く違う新型の畳(ビニール素材)が使われました。畳は日本で生まれてから千年以上の歴史がありますが、その時代ごとに、素材や作り方、使い方はどんどん変わっていきます。それは当然の摂理なのですが、それにしても100年でこの変わりようには驚きです。

「第四高等学校武術道場 無声堂」と書かれた解説板。歴史や写真が載っている
無声堂の解説板。第四高等学校の武術道場として建てられたものだそうです。

畳は所詮敷物です。無声堂の畳はほとんどの人には見向きもされず、ただ床下にある衝撃吸収のスプリングが揺れて「おお、揺れる!」くらいの感想で終わるのかもしれません。歴史的な価値は誰が決めるのかわかりませんが、それでも僕はこの畳に出会えた偶然に感謝しかありません。

正直、無声堂の畳を全て新しく復元させる事は色んな意味でもう出来ないんだろうなぁって気がします。でも、もし明治村の皆さんが「この畳を復元したい」と思う時が来たら、ぜひ乘本に声をかけて下さい!全国から仲間を集めて、皆んなで昔ながらの柔道畳を再現してみせます。これは畳職人としての夢とも言えるのかな?

明治村の和室。畳敷きの部屋が奥へと続き、見学者が歩いている

は〜、興奮冷めやらぬまま、久しぶりのアウトプット。長文失礼しました。